今回は、「自分史・家族史」のメリットについて考えてみます。「自分史・家族史」の書き方やテクニックについて知りたい方にとっては、前書きが長くなってしまいますが、もう少しお付き合いください。

1 存在を証明


「自分史・家族史」は、自分という人間の「存在証明」になります。ちょっと哲学的ですね。
ついでに哲学的なことをいうと、デカルトは「我思う故に我あり」と言いました。これはけっこう有名な言葉です。自分の存在は「自分がものを考えていること」で証明できるということです。
しかし、そうでしょうか。東洋では自分は無であるといい、もしかすれば自分は「胡蝶の夢」かもしれないと、自分の存在を疑っています。「思う」だけでは、自分の存在の証明にはなりにくいのではないでしょうか。

自分の存在を証明するもの、それは他者なのです。

例えばここにコップがあります。コップ自体では自分の存在を証明することはできません。しかし、ここに人間の手があり、その手がコップを握ると「ここにコップがある」と感じ、これでコップの存在が証明されます。同時にコップは手の存在を知ることになります。

「自分史・家族史」も同じ役割をします。
自分の人生を他の人が読むことで、存在を証明できるのです。「我あり」と自分だけで思っていては存在の証明にはなりません。
「自分史・家族史」を他の人に読んでもらい、自分の存在を証明してもらいませんか。
その「他の人」はごく少数の人でもかまいません。その人たちにあなたの人生を知ってもらうのです。記憶に刻んでもらうのです。

今では国会図書館も自費出版の書籍の納本を受け入れています。ご近所の図書館もそうかもしれません。図書館の倉庫にあなたの本がある限り、あなたの存在が長く息づくことになります。こう考えると、ちょっとすてきではありませんか。

2 記憶を残す義務がある


人間にはそれぞれ独自の人生があり、それは一人ひとり異なるものです。そのあなただけの人生を何かのカタチで残してみませんか。

人は事件を記憶しますが、往々にして日常生活を当たり前と感じて残そうとはしません。これが後世になって、歴史の大きな欠落となります。事件はわかっても日常がわからないからです。

私たちには、人生の先輩として、歴史の生き証人として、誰もが自らの記憶を次の時代に語り継ぐ義務があります。それが人類の成長の源となります。

親戚のおじさんの話ですが、戦争時代の記憶を文章にしたことがあります。おじさんはどうしてもそれを生きているうちに書き留めておきたかったといいました。東京大空襲で、隅田川に死体が魚の群れのように流れていった、火事が起きて、耐えられなくなって、人々はその川に飛び込んでいった……、そんな物語でした。

このようなことは、体験した人間でなければわかりません。これは特殊なことかもしれませんが、皆が異なる日常をもっています。その日常を記録として後世に残しましょう。あるいは平凡で小さな人生かもしれません。しかし、その平凡で小さな人生が集団となって、人類は発展してきたのです。

私たちには未来に記憶を残す義務があります。これは「自分史・家族史」の大きな役割です。この機会に、「自分史・家族史」として、あなただけの体験や思いを公開しましょう。

3 自分を知る、人生を振り返る


自分の人生を見つめ直してみませんか。

そのツールとして「自分史・家族史」を活用しましょう。シニアの方ばかりではありません。小学生や大学生も「自分史・家族史」づくりに取り組んでいます。

生きている間に、ちょっと立ち止まって自分の人生を振り返るというのは重要な作業です。
これはシニアに多いことですが、長く生きてきて、この辺で自分の人生を総括してみようと考える方が多くいます。実際、自治体などで自分史セミナーや講座を開催すると、参加者の多くはシニアの方です。老人ホームがサービスの一環として、自分史セミナーを提供しているところもあります。

若くても一定期間ごとに自分の人生を振り返ることで、1つの区切りを付けることができます。今までの生き方を確認して、次の目標に向かって、新たな一歩を踏み出すことができるようになります。
最近、40代の男性の方からお電話で相談を受けました。その方は10年ごとに自分の人生を書きまとめているそうで、今度は書籍にしたいから手伝ってくれないかというのです。大変すばらしいことだと思いました。

大人ばかりではありません。子どもにも効果があります。子どもとはいえ10年生きてくれば10年分の、15年生きてくれば15年分の人生があります。
「自分史・家族史」を教育の一環で取り入れている小学校があります。卒業の記念として「自分史・家族史」をまとめさせているのだそうです。いろいろな人に尋ねて、「自分史・家族史」をまとめ上げることにより「自分は一人で生きてきたのではなかった」と多くの生徒たちは認識します。周囲に感謝すると同時に、他者の人生も認めるようになります。
この効果の1つとして「いじめがなくなった」とその教諭は語っていました。自分史をまとめることで、他人の人格も尊重できるようになるそうです。

大学生が就活の際に「自分史・家族史」をまとめるという話もよく聞きます。
20代前後で自分の適職や本当にやりたいことが見つからないと悩んでいる方は多くいます。こんな時に、「自分史・家族史」を書いて自分を見つめ直し、進むべき方向を見つけるのです。

4 両親や恩師へプレゼント


両親や恩師へプレゼントしましょう。

これもよくある事例です。両親や恩師への感謝のカタチとして「自分史・家族史」をプレゼントするのです。

「自分史・家族史」をプレゼントすることは、相手の人生や人格を尊重していることになります。受け取った方は、単なる書籍をもらった以上に自分の人生を認められた喜びを得ることができます。

とはいえ、プレゼントする方が両親や恩師の人生を深く知っているわけではありません。十分な取材が必要となります。このため、「自分史・家族史」を作ることの了承を得てから、取材に入る必要があります。
場合によっては、両親や恩師が自ら執筆するかもしれません。

前者の例では、関東近県ですが、母親に「自分史・家族史」をプレゼントした方がいました。おしゃべりなお母さんで、子どもや孫が集まると自分の昔話をよくするのだそうです。その母親が元気なうちに「自分史・家族史」をプレゼントしようと兄弟で話し合って決定しました。
しかし、自分たちが書けるわけではありません。その道のプロを探して、私が担当することになったのです。

後者では、そのお父さんが自分で「自分史・家族史」を書きたいとの希望を持って、すでに原稿を書きためていました。それを娘さんが知って費用を捻出し、出版にこぎつけたのです。
この際の原稿のまとめとリライト、編集を私が担当しました。

書くのはプレゼントをする側(例えば子ども)、される側(例えば親)に分かれますが、費用を負担するのはプレゼントをする側です。
必ずや両親や恩師の笑顔を見ることができるでしょう。

5 脳を活性化


自分史で脳を活性化しましょう!

この辺になるとシニア向けの「自分史・家族史」になります。
「自分史・家族史」をつくるには、自分の過去を思い出さなければなりません。これが脳の活性化になります。

思い出すという作業は、ものを創り出すクリエイティブな作業と同じ程度に頭を使うのだそうです。それでなくても、「自分史・家族史」の場合は大昔のことを思い出さなければなりません。

あやふやな記憶を必死に絞り出します。時間がかかるかもしれませんが、1つの記憶が鮮明になって、同時に似たような記憶も蘇ります。その記憶を比較し、前後関係を考え、間違いのない過去を再現します……。確かにこの作業は頭を使いそうです。

思い出すだけではありません。「自分史・家族史」は思い出した内容を順番に並べ替えなければなりません。必ずしも時系列とは限りません。テーマごとにくくらなければならないこともあり、これら構成を考えることは、大変頭を使います。

そして文章化。文章を書くのは頭を使う作業です。いやになって逃げだしたくなるかもしれませんが、自分の過去を振り返り、それを「自分史・家族史」としてカタチにしていくことは楽しい作業です。時間は十分にあります。あせることなく、「自分史・家族史」作成に取り組みましょう。

自然と頭脳は活性化され、認知症になる確率も下がっていきます。この効果を認めて、「自分史・家族史」の作成を推奨している福祉施設が多くあります。

東京都文京区は年度予算案に、高齢者福祉を見据えた「自分史」作成支援事業費約97万円を盛り込んだそうです。区長は「自分史を作成することにより元気な高齢者が増えれば医療費などの抑制にもつながる」と話しています。

6 怨み辛みを昇華


怨み辛みを、本にして昇華しましょう。

自分史・家族史の仕事を始めて意外だったのは、恨みや辛み、暗い過去を本にしてしまおうと考えている人が多いことです。「つらい思い出を書くことで、それから切り離されたい」ようです。
同時にその重要性にも気づかされました。暗い過去を、いつまでも一人で抱えていても、辛くなるだけ。本にしてデトックス、さらには昇華し、新たな人生を歩もうとされる方が多かったのです。

悩みや鬱屈は、誰かに話すだけで解消できることが多いものです。一人で悶々としているよりも、人に話すことで、頭の中を整理できますし、悩みから解放された気がします。
積もり積もった怨み辛みもそうです。誰かに話すことで、ずいぶん気が楽になります。
「自分史・家族史」もこれと同じ、あるいはそれ以上の効果があります。

こんなことがありました。金融機関に勤める女性から依頼された「自分史・家族史」です。その方はなかなか出世できず、紆余曲折の末に50代を迎え、平職員のままその金融機関で勤めることになりました。その企業には等級があって、それが同期の社員と比べて、なかなか伸びなかったのです。
そんな彼女の半生を執筆するのが仕事でした。
彼女は特に憤慨するでもなく、淡々と取材は終え、一度原稿を修正し、印刷納品しています。何に使うかまでは確認しませんでしたが、きっとこれで彼女の恨みも晴れるのだろうと思いました。

ゲイの方から相談を受けたこともあります。波瀾万丈な人生で小説になりそうなエピソードをいくつもお持ちの方でした。筆もたつ方なのですが、自分では書くのは「しんどい」と言います。誰かに代筆をお願いしようと私に声がかかったわけです。
この方は「自分史・家族史」はデトックスになる、といっていました。毒を吐き出して、残りの人生を明るく歩みたいようでした。

他にも、「自分史・家族史」を書くことで「自分の人生はそんなに悪いものではなかった」と再確認される方は多くいます。立身出世物語を「自分史・家族史」にする方は多くいますが、その逆もいるのです。

7 自分史は請求書?脅迫状?


これもこの仕事を始めてから気がついた意外な事実です。
表向きにははっきり言えない理由があって「自分史・家族史」を作る方がけっこういます。最も多いのが金銭も含めた「請求」です。

わかりやすい例が永年勤続者の「自分史・家族史」です。60歳を前になって、その団体や企業に長年勤めた方が、退職金をもらう時期になります。
そんな時に「自分史・家族史」を作るパターンが多くあります。これはご理解できるでしょう。退職は人生の大きなターニングポイントです。それを記録としてまとめた気持ちは誰しもがあることでしょうか。

その内容の多くは「自分がいかにこの会社の発展に貢献してきたか」です。こうして、自分の半生を文章にまとめ、記録にすると同時に、残された後輩へのノウハウとすることができます。

ところが、あるとき、その内容がずいぶんくどいことに気がつきました。法律すれすれのことも自分が率先して取り組み、会社の危機を救ったことも記されています。
もちろん自慢話であり、大いなる功績として主張したいのでしょう。

最後は会社や関係者への感謝で結ばれていますが、その方がポロリとこぼしました。

「経営者が2代目になって、私の貢献が闇に葬られようとしています。許されません。それ相応の報酬はいただこうと考えています」というのです。

ここにおいて、今回の「自分史・家族史」の意図が見えた気がしました。つくろうとした目的がわかりました。

ちょうど退職金の交渉する時期になり、「自分史・家族史」を貢献の資料として提出しようとしたのです。法律すれすれのことはさらに別に自分で追加資料をつくったかもしれません。
「ダーティな部分を自分が背負って、ここまで会社を大きくしたんだ」という揺るぎない自負があるのです。

その結果は知りません。
他にも駆け引きの道具として作成した「自分史・家族史」が多いような気がします。兄弟に向けて、親にかかった介護費の一部を支払うようにも読める「母の自伝」もありました。
明確な目的を持った「自分史・家族史」が多く、そのためにも大金をかけているのかもしれません。

■まとめ

1 存在を証明

2 記憶を残す義務がある

3 人生を振り返る

4 両親や恩師へプレゼント

5 脳を活性化

6 怨み辛みを昇華

7 自分史は請求書?脅迫状?

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