自分史・家族史って何?
「自分史・家族史」とは何でしょうか。「自分史の作り方」の第1弾は「自分史・家族史って何?」という疑問から答えることにします。皆さんはこんな疑問を持っていないかもしれませんが、「自分史・家族史の作り方」という連載を始めるには、避けることができません。
■自分史・家族史とは自分の歴史
何のことはありません。文字どおり、自分史とは自分の歴史のことです。
家族史とは家族の歴史のことです。
人間には誰でも歴史があり、人生があります。それを文章にしたり、ビデオにしたりして残すのが「自分史」「家族史」です。
「自分史」は新しい言葉です。1975年に色川大吉氏が「ある昭和史 自分史の試み」という本を出版し、ここで初めて「自分史」という言葉が登場したといわれています。色川氏の訴えは次のとおりです。
同時代史はあまりにも身近すぎて、歴史として熟れていない。それにもかかわらず、もっとも書かれねばならないものだし、今こそめいめいが“自分史”として書かねばならないものだと思う。
人は誰しも歴史をもっている。どんな町の片隅の陋巷(ろうこう)に住む「庶民」といわれる者でも、その人なりの歴史をもっている。それはささやかなものであるかもしれない。誰にも顧みられず、ただ時の流れに消え去るものであるかもしれない。しかし、その人なりの歴史、個人史は、当人にとってはかけがいのない“生きた証し”であり、無限の思い出を秘めた喜怒哀歓の足跡なのである。この足跡を軽んずる資格をもつ人間など、誰ひとり存在しない。
■「平凡に暮らしてきた人」を綴るのが自分史
広辞苑を開いてみましょう。広辞苑では、自伝と自叙伝は同義語とされています。
これに対し、自分史は「平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったもの。自伝。」と紹介されています。色川氏の提唱に準じているようです。「平凡に暮らしてきた人」がポイントとなります。
自伝と自叙伝が大なくくりで、「平凡に暮らしてきた人」にフォーカスしたものとして自分史があるようです。
■「自分史」の歴史
私がこの世界に入り「自分史」という言葉を知ったのは、2000年以降のことであり、正直造語のような気がして、違和感を覚えた記憶があります。
しかし、今では一般化されてきました。NPO「自分史活用推進協議会」という団体さえでき、私もそこに入会し「自分史活用アドバイザー」をしています。
この自分史活用推進協議会では、自分史の国内における歴史も検証しています。
それによると、1993 年には日本自分史学会が設立され、1999年に愛知県春日井市に日本自分史センターができています。自分史関連のコンクールやイベントも開催されるようになり、各地で自分史講座が開かれ、自分史のサークルもたくさんつくられるようになりました。
この後、2010年7月に、一般社団法人自分史活用推進協議会が設立されています。自分史の魅力を伝え、活用法を普及し、自分史を活用して自分らしく生きる人を増やすことで日本を元気にしようというのが目的です。
■自分以外でも「自分史」
「自分史・家族史」は自分に関することですが、他の人の人生を記したものも「自分史・家族史」と呼ばれています。自分で書いたものではないにも関わらずに呼ばれているのです。
多いのが両親を書いたもの。例えば、亡くなった父親の人生を書く、亡くなった母親の人生を書くといった類です。先祖代々を書く方もいますし、祖父と父親を書く方もいます。私も何件かこのようなパターンのお手伝いをしたことがあります。
これも広い意味では「自分史・家族史」として扱われています。
■他の書籍との比較
似たような書籍と比べてみます。
「伝記」はどうでしょうか。学校の図書館には「伝記コーナー」がありましたね。エジソン、リンカーン、野口英世……。懐かしい思い出です。これからもわかるように、その人から人生を学べるような偉人が対象となっています。この点、自分史は「平凡な人」というのが強調されています。
「回想録」もあります。これは事件や人生を振り返るもので、記録あるいは文学作品の一形式です。偉人や事件などが対象で、自分史のように「平凡な人」ではありません。
「日記」は自分のために書く記録であり、自分史ではありません。しかし、自分史が「平凡な日常」であることから、日記をベースに自分史を書こうという動きも一部見られます。面白い現象です。読ませるための工夫をすることで、日記が自分史に様変わりします。
自分史のつくり方を教えるこの連載。自分史とは、平凡な人の平凡な日常を綴るものです。ですから、この連載は平凡な人の応援歌でもあるのです。
■まとめ
「自分史」は1975年に色川大吉氏が提唱。
平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったもの。
伝記は偉人の人生、回想録は事件が対象。