貧困を克服!

私のホームページを見て、連絡してきた方の執筆事例です。いくつかの自動車整備工場のオーナーで、今では子どもに経営を譲り、引退して悠々自適な生活をしています。
「自分ではそれほどとは思っていなかったんですが、他の人に話すと、それは尋常じゃないと皆が言うもので」と、その方は語ります。

地方の方です。父親が戦地から帰ってからの生活はひどい貧困の中にあったといいます。開拓地を割り当てられたものの、それが山の斜面のようなところで、陽の当たりが悪い、樹木が多い、湿気もたまる、学校からも遠い……。悲惨なほどに苦しい生活を重ねました。
小学校では給食費が払えず、先生に叱られ、悔しい思いもしています。

中学を出て、集団就職で上京。城北の工場で働いていましたが、長く続かず、いくつかの職場を渡り歩いています。
やがて、ブームとなりつつあった車の整備工場で仕事にありつき、寝る暇もなく働くことになります。
手先が器用で我慢強いこともあり、その腕が認められ、次第に給料も上がっていきました。

昭和30年代後半には友人と二人で独立、自分達の工場を持つことができました。世はモータリゼーション、自動車整備工場は目も回るような忙しさになりました。
友人が金を持って行方不明になるなどの事件もありましたが、その人は事業を拡大させ、複数の工場を持つようになっていきます。

鮮やかな立身出世の物語です。聞いていて楽しくなるような話でした。
5回お伺いし、250ページほどの書籍になりました。
ただ、受注まで半年ほど時間がかかりました。お子さん達からそんなものにお金を使うなと反対されたそうです。しかし、書籍を受け取ったお客様の笑顔は忘れがたいほど素晴らしいものでした。これが自分史の醍醐味です。